第7講 ハーバードでの経験
2013年12月03日

   ハーバード大学では、政治学を初めて勉強しました。それで、最初に選んだコースが、その後私の指導教授となるシドニー・バーバというとても有名な政治学者です。この人の、「政治参加と民主主義」というコースを取りました。そこで30人くらいの大学生と一緒に授業を受けるわけです。ある日バーバ先生が、大変厚い「植民地時代の政治参加」について書かれた本を、誰か読んでまとめてこいと言いました。あまりにも厚い本ですし、1週間しかないから、誰も手を挙げない。アメリカのエリートであっても手を挙げない。だからこれは私が手を挙げないといけないかなと思って、「私がやります。」と言いました。自信は全然なかったんですよ、でも手を挙げてそれを一週間後に報告しました。これがその後の私の人生をとても変えたわけです。それまでは私の友人達も、あまり英語が上手でない、農学部出身の日本人の私とは、付き合いがなかったけれど、私がそれを発表して、その次の日から一緒にご飯食べようとか、一緒に勉強しようとか、そういうことを言ってくれる。それから何よりも、その時のシドニー・バーバ先生が私の指導教授になったのです。この、シドニー・バーバ先生はとても有名な先生で、なかなか学生と付き合いがない先生でしたが、私は卒業して、バーバ先生と一緒にハーバード大学出版から本を出しました。そして、2002年にハーバード大学に呼ばれて私が講演した時に、バーバ先生が来てくれて、講演の後、「お前のような学生を指導したことは、私の誇りだ。」と言ってくれました。その時はとても嬉しかったです。そういう意味で、「大事なことは自信がなくても手を挙げることだ。思った時には手を挙げる、勇気を出して一歩踏み出す、それが人生を変える。」そういうふうに私は思います。
 もう一つハーバード大学で私が経験したのは、次のようなことです。大学院の奨学金は2年間なんです。その時子どもが3人おり、後は大学の教授の研究の助手をするか、あるいは授業の助手をするかしかなかったのです。NHKの教育番組で、ハーバード大学の白熱教室というのをやっていますけれども、あの番組を見ると授業風景がよく分かります。先生は1千人くらいを教えますけど、その裏では、大学生が一生懸命に少人数で教えているんです。その役割をするかどうかという事でしたが、私にはもうすでに子どもが3人なので、やはり奨学金じゃないと駄目だということで、駐日大使をされたこともある、ライシャワー先生に、奨学金はありませんかということを頼みました。そうしたら、クレイヴ先生に会いに行けということで、クレイヴ先生というのがアジア研究所長だったんですけれども、クレイヴ先生の所に行きました。そうすると、この申込書を明日までに書いてきなさいと、言われました。それで申込書を書いてきたら、クレイヴ先生が「3人の先生に電話した結果、お前に奨学金をやることを決めた。」と言われました。バーバ先生、ライシャワー先生、もう一人の私の指導教授であり、「文明の衝突」の著者であるハンティントン教授の3人の先生方に電話したところ、「3人ともお前に奨学金をやれと言ったから、お前にやる」ということでした。このようにアメリカでは時間がかからないんです。私が知事になって、県庁の人たちに言っているのが、何年も時間をかけないで迅速に行動せよ。そうすればみんな喜びが高まるということです。まあそういう形で、3年と4年目の奨学金を受ける事ができました。そうして、大事なことは、奨学金があるうちに博士号をとらなければいけないことです。だいたいアメリカでは5年か6年くらい博士号を取るのにかかります。私は3年9か月で終わることができました。ですが、頭が良かったからではなくて、奨学金が4年しかないんですね。もし、4年で博士号をとらないと、子ども3人は飢え死にしてしまう。そこで、4年以内に終わるために、6か月前くらいに日本に帰る切符を5人分買いました。日本に帰る切符を早く買うと何が起きるかというと、ひとつは安く買える。もうひとつは、もしそれで帰れないと、紙くずになってしまう。だから紙くずにならないために必死で勉強する。そして、幸いなことに3年9か月で終わる事ができました。だから、やはり何者かに勝つ為には、自分にプレッシャーをかける事が大事です。これはとても大事なことです。そうしたら火事場の馬鹿力と言いますけれども、本当に一生懸命やりますから、いい仕事ができる。それで3年9か月で修了しました。
 いよいよ、博士号もとれたので、そのアジア研究所の、いつも奨学金を渡してくれる先生に、バクスター先生というんですけれど、「ありがとうございます。」と言いに行きました。そうしたらそのバクスター先生が、「お前は、よく頑張った。あんまり一生懸命に勉強していたから家族と一緒に旅行なんかしたことないだろ。」と聞かれたんです。考えてみると、結婚して卒業するまで8年間、一度も自分のために旅行したことはないし、日本に帰ったこともない。一生懸命に勉強することと、それからアルバイトすること、それから節約すること、それだけやってきました。だから、「ありません。」と言ったら、「じゃあ、家族分まで余分にお金をあげるから、ハワイに寄って帰らないか。」と言ってくれたんです。そういう弾力性がアメリカは良いんですね。そこで初めて、自分たちのためにハワイに寄って帰りました。