第2講 生い立ち
2011年03月30日

 私が生まれたのは1947年です。1947年の1月に生まれましたが、その時の私の家族の状況を聞くと皆さん驚くのではないかなと思います。
 私の両親は戦前、満州という、今の中国の東北部にある、かつて日本の植民地だったところから帰国しました。日本は戦争に負けていましたので、無一文で帰ったわけです。そしてその時、6人の子どもを連れて帰りました。連れて帰ったところは、山鹿市の鹿本町というところで、私の祖母はそこで2反ほどの水田をつくっていました。
 だいたい水田1反で1人ぐらいは養うことができるのですが、子ども6人を連れた私の両親、それと私の祖母がいますので、9人家族がその2反の田んぼで暮らしていくわけです。その後さらに3人子どもができました。私は9人兄弟の7番目で、戦後初めてできた子どもだったのですが、そういう状況ですから満足にご飯を食べることができませんでした。
 だから、高校卒業するまで、白い米、ご飯を食べたのは、正月とお盆くらいでした。現在はお米はふんだんにありますし、食べ物もふんだんにある生活が普通だと思われていますけど、私たちの子どもの頃はそうではなかったということも知っておいてほしいと思います。
 そのような状況にありましたので、私は小・中・高と新聞配達をしました。小学2年の頃から高校3年の頃までなので、11年間になります。自分の小遣いのためにする新聞配達じゃなくて、家計を支えるための新聞配達でしたが、今は新聞配達をして良かったと思っています。新聞配達をしたことによって、いろんな情報を得ることができました。そして、私は誰よりも早く本を読むことができます。これも新聞を隅から隅まで、小学校2年の時から読んでいたからだと思います。それから新聞配達というのは、ほぼ365日、雨の日も風の日も雪の日も配達します。だから身体がとても強くなったと思っています。
 そのような小学校、中学校、高校の学生だったのですが、いくつかの思い出があります。私はあまり貧乏ということをそれほど気にしたことありませんし、その頃はほとんどの人が貧乏だったのですが、1つだけ小学校の頃の思い出で、「ああ、やっぱり貧乏は嫌だな」と思い出すことがあります。
 今、みなさんは布の靴を履いていると思いますが、その当時お金が無かったものですから長靴しか買ってもらえませんでした。それで、長靴がどんなものかというと、ずっとそれを使っていると足が蒸れてきます。そしてすぐ破けてしまう。そして遠足の時に長靴で行くと、足がすごく蒸れてしまうので嫌だなあと思っていました。
 すると、私の母親が街に行って靴を買ってきてくれました。それは布靴でした。ただ、私が男なのに赤い靴を買ってきたんです。何で赤い靴かというと、多分セールをしてて赤い靴しか売ってなかったんだと思います。そこで赤い靴が嫌だと言ったところ、遠足の前に墨で黒く塗ってくれました。黒い靴になったので、遠足に履いて行ったのですが、汗が出てくると、靴がまた赤くなってしまうわけです。
 私の名前は蒲島郁夫ですから、私のことを友達みんなで「いくちゃん」と呼んでいましたが、「いくちゃんの靴は赤い」と言ってみんなで笑って、その時は、「ああやっぱり貧乏はいやだなあ」と思いました。
 それ以外は非常に楽観的に、小学校、中学校、高校を過ごしましたが、高校まで1度も勉強したことがなかったものですから、成績はとても悪かったです。私が小学校から高校までの間に、5段階評価で「5」が1つだけありました。その「5」は国語で、小学校6年生の時に読書感想文で入賞したので、先生が「5」をくれたんだと思っています。皆さんは学校の成績で、「5」をもらったことが何回かあるかもしれませんが、私は1回しかなかったものですから、今でもその時の「5」をとても嬉しく懐かしく思っています。
 いよいよ18歳の時に鹿本高校を卒業することになりました。小学校から高校まで一度も勉強したことがないと言いましたが、鹿本高校はその当時、同級生がだいたい230人いて、私の卒業する時の成績は200番台でした。まあ、200番台は201番だろうが220番だろうがほとんど変わらないと思いますが、そんな成績で卒業しました。
 ただ、卒業する時に、他の学生と違うと思うことが1つだけありました。それはとてもたくさん本を読んだことです。私が最初に本を読んだのは、小学校3年生の時に兄が図書館から借りてきてた「ああ無情」という本です。有名なヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」です。それで、世の中には自分よりも不幸な人はたくさんいるなと思ったわけです。それから、フランダースの犬、これも読みながら大泣きしました。
 そして、私の人生に一番影響を与えたのはプルタークの「英雄伝」という本です。これはローマとギリシャの政治家を比較して論じた書物です。それを読んで、ローマの皇帝シーザーのような政治家になりたいと思いました。読書を通じて、小学校、中学校、高校と、夢大きく学生生活を送りました。勉強はしませんでしたが、とても夢大きい学生生活でした。