第3講 農業研修生としてアメリカへ
2011年03月29日

 私には3つの夢がありました。1つ目の夢は、牛を飼うこと。鹿本高校への通学途中に小さな丘があるのですが、その丘の上で学校をさぼって阿蘇山の方を見ますと、風景がとても良いです。そして、阿蘇山というと皆さんもご存知のように、草千里で牛が悠々と草を食べています。そこで、阿蘇の大平原で牧場を開き、カウボーイになって牛を飼うという夢を持ちました。2つ目の夢は、プルタークの「英雄伝」を読んで、シーザーのような政治家になりたい。3つ目は、本を読むのがとても好きだったから小説家になりたい、ヴィクトル・ユーゴーのような素晴らしい小説家になりたいという夢。その3つでした。
 ただ、この3つはとても大きな夢です。そのような夢を持ちつつ、18歳の時に落ちこぼれに近い成績で高校を卒業しました。
そして就職したのが、稲田村農協という地元の農協です。農協に勤めて2年間、プロパンや肥料の配達をしたり、あるいは米の収穫時期には60キロの米を担いで倉庫に運んだりして日々過ごしていました。
しかし、20歳の時に、「このままでいいのだろうか、このまま一生送っていいのだろうか」という疑問が出てきました。そこで、私は第一の決断をしたわけです。3つの夢のうちの1つである「阿蘇で牧場を開く。牛を飼う」、という夢に挑戦することにしました。ただ、牛を飼おうと思っても、土地もありません。それに牛を買うお金もありません。そしてその前に、牧場を開くための勉強、どうやって牛を飼うかという勉強をしなければならない。
その当時、アメリカに2年間日本の青年を送るという農業研修生のプログラムがありました。それで、カウボーイの勉強をしようと思い、プログラムに応募して21歳の時にアメリカに渡りました。
アメリカに渡った最初の地がシアトルです。今はイチロー選手で有名なシアトルですが、初めて飛行機に乗ってシアトルに着いたとき、そこで見るものはとても素晴らしかったです。車も大きいし、道も広い。それから、シアトルは毎日毎日小雨が降ります。だから緑がとても綺麗です。そして、歩いている男女は素晴らしくハンサムで美女が多い。なんと素晴らしい街なんだろう。シアトルに着いたときにそう思いました。
実際の農業研修生としての最初の研修では、まず、シアトルから3時間ほど行ったモーゼスレイクという小さな村にある小さな短大で英語を1か月半勉強します。それから農場に配属され、今度は3か月間オレゴン州でリンゴの収穫をします。これはとても辛い仕事です。リンゴの収穫をしながら、メキシコから来た労働者と共に働きます。そこで、あんまり本当の英語ではない英語をメキシコ人と会話しながら覚えるわけです。そしてまた1か月半モーゼスレイクに戻って英語の勉強をします。これでトータル6か月になります。そうすると、さすがに片言の英語が話せるようになってきます。
そういうことをして、ようやく自分の専門に近い研修を受けることができます。まずほとんどの農業研修生が望むことは3つです。1つは、自分の勉強したい農場に行けることが第一。次は、そこの農場主のことをボスといいますが、ボスが優しいこと。3番目は、できればそこに美しい女性がいること。だいたいそんな夢を持つのですが、ほとんどその夢は裏切られます。
私もアイダホ州というところに行って、1月2日にアイダホの農場に着きました。すると雪の中に素晴らしい牧場があります。その牧場では、500頭の牛と500頭の羊が飼われており、雪の中を悠々と歩いています。「なんと素晴らしい牧場だろう」と最初の日は感激しましたが、その次の日からは辛い毎日です。牛の飼い方の勉強というと、とても簡単なような気がしますが、実際アメリカの農場の人たちからすると、農業研修生はとても安い労働者に過ぎないわけです。冬でしたからとても辛い農作業をしながら牛を飼います。雪の中を必死で牛の世話をしたり、それから羊の世話をするのです。
365日、牛の世話をしない日はありませんので、休みはありません。街が牧場から歩いて3時間くらいの所にあるので、ほとんど街にも行けません。そういうところで農業の研修をやって、「こんなに農業は辛いんだろうか」そう思って、日々の農場生活を送っていました。