第5講 ネブラスカ大入学
2011年03月27日

 そして、アメリカに戻って通訳をしながら、ネブラスカ大学の入試を受けました。アメリカの大学は2つの試験があります。1つは英語の試験です。この英語の試験はアメリカ人が受ける試験ですから難しい。だから、日本人では、とてもじゃないが解くことができません。もう一つは数学です。日本の数学から見ると、とても易しい数学です。だから、日本人は数学で点を取らなければ合格できない。でも、元々何で高校時代落ちこぼれたかというと、数学ができなかったからです。2科目を受けて、悲惨な結果でした。
 それから、推薦状も成績証明書もそんなに良いものではありません。世の中奇跡は起こりません。何が起こったかというと、不合格。不合格通知が来ました。せっかく、片道切符でアメリカに来たけど駄目だった。
 だから、日本に帰らなければいけません。「日本に帰って、どのような顔して恋人に会おうか」いろんなことが浮かんできます。でも、人生には色んなことが起きます。実は、私が落胆している姿を見て、私が通訳として就いていたハドソンという先生が、「どうしたんだ?」と聞いてきました。ハドソン先生に「落ちました」と言ったら、その不合格通知をハドソン先生が持って入試担当者のところに行って、「蒲島郁夫君は、日本から来たとてもやる気のある男なんだ。日本からわざわざ大学に入るために帰って来たんだ。チャンスを与えるべきだ」と言ってくれたのです。
 そしたら、その入試担当官がその説得を受け入れて、半年間の様子見入学にしてくれました。アメリカというのはとても偉大な国です。アメリカはとても弾力的な国です。その弾力的な国は、日本から見るといい加減な国ではありますが。
 ということで、6か月間だけの様子見入学することになりました。6か月間だけ様子見をしてみて、もし良ければそのまま入学できる。そうでなければすぐ放校ということです。
 6か月間だろうがなんだろうが、チャンスが与えられた。与えられたチャンスをものにすることが人間として大事です。それから半年間、あれほど私の人生の中で勉強したことはないというくらい一所懸命に勉強しました。ただ、家からの仕送りはありませんので、アルバイトもしなければならない。アルバイトをしながら、起きている時はほとんど勉強していました。
 不思議なもので、英語は不得意でも、アメリカの大学の教科書、まあアメリカの高校の教科書もそうですが、とても厚い教科書を一所懸命読むと、何となく意味が分かります。「何で高校時代にあんな薄い教科書が読めなかったんだろう」とさえ思います。そして、数学も当然説明は英語で書かれていますが、一所懸命解けば、何となく分かります。それで1学期が終わり、成績証明書が来ました。
 アメリカでは成績が5段階だったのですが、Aが1番良くて、90点以上がA、Bは80点以上、Cは70点以上、そして、Dが60点以上、そしてFというのがあって、これはもう落第です。そして6か月後、私に成績証明書が送られて来ましたが、すべてA、ストレートAです。
 成績がストレートAだとどうなるかというと、全く状況が変わります。1つは、あなたを特待生にします。2つ目は、授業料を免除します。3つ目は、奨学金をあげます。372人中10人がストレートAの成績で、私はその1人だったわけです。そして、最も良かったのは、1年生の時から指導教官が付いて、研究ができたことです。
 様子見入学から半年後には一挙にエリートコースになりました。大学1年生の時から奨学金が出ましたから、早速、熊本にいる恋人を呼んで、結婚しました。大学1年生の時に結婚したのは、私ぐらいだったと思います。
 私がネブラスカ大学でやったのは、繁殖生理学という農学部の分野で、畜産学に近いようなものです。そこでの私の研究課題は「豚の精子の保存方法」というものです。豚はとても敏感で、牛とか、人とか、猿の精子は鈍感ですから何十年も保存できますが、豚だけはできません。それで、その研究をやり、ネブラスカ大学を4年後に卒業したわけです。